2012年6月12日火曜日

004 - 「インドとわたし 出会い編」本編2 20120612

2006年3月、私は初めてインド・ムンバイのチャトラパティー・シヴァージー空港に降り立った。
ぼけっとしていたら飛行機の座席にパスポートと帰国便チケットを置き忘れてインドに来て早々CAさんに迷惑をかける騒動を引き起こしたのも今となっては思い出である。

夜ホテルからの送迎待ちのために空港の外に出ると、熱と湿気がつまった空気とやたらクラシックなインド国産車アンバサダーの黒とマンゴー色の車体、道端に植えられたココヤシ、そして客の名前が印字されたコピー紙を持って待ち受けるインド人タクシードライバーのささやかな一群が目に飛び込んできた。
「おおおおお、ここがインドだー!来ちゃったインド!」
目の前のこの光景とまとわりつく空気、クラクションの音、そして空港にたちこめた香のにおいが感覚のすべてを奪っていった。

その翌日、昨日書いたKさん家族に出会い、そこからの一週間家族の一員として受け入れていただき、当初決めていた通りに彼らのやることなすことをことごとく真似、とにかく笑顔でなんでもやった。

印象や思い出を全部書き連ねることはしないが、ここでは私がインドをもっともっと知ろうと思ったきっかけになった出来事を書くことにする。

鮮やかな色彩にあふれ、かつどこか砂埃にくすんだ街の色彩、日本のインド料理屋では食べられない台所でうまれる現地メニューの数々、高原気候であるプネーを彩る白い日光、街にあふれるガネーシャ像(ヒンドゥー教の神のひとりであり創造・破壊神シヴァの息子。ゾウの頭の神といえばわかる人も多いだろう)と、花とサフラン色と神像にあふれた石造りの寺院。インドを思い出すときまずはこうしたものが浮かんでくるのだが、忘れられない感触が一つある。

ホームステイの何日目かにKさん一家の自家用車で街中を走っていたとき、ふと停車して窓を開けていると幼い子供が何か品物を持ってやってきて、買ってくれるようせがみ手を伸ばしてきた。
「これが噂にきくバクシーシかあ」と思い見ていると、
ふと隣にいたホストシスターが車の窓を閉めた。
そのとき窓ガラスに、コツン、と差し出された子供の手が当たった。
まったく誰の悪気もない出来事だが、何もインド社会のことなど知らなかった私に疑問がわいた。

「Kさんたちと子供の間のこの窓ガラスは、本当はいったいなんなのだろう?」

あの音と感触は今もふと頭をよぎる。

もう一つのきっかけは、当時公開されていたRang De Basantiという映画だった。
この映画は有名俳優のアミール・カーンが主演した大学生を主人公にした社会派映画だ。
内容については、アルカカットさんの書かれたこちらの記事http://www.koredeindia.com/006-01.htm#0127をご覧いただきたい。
私は当時まったくヒンディー語がわからない状態で映画館に連れて行ってもらい、たまにホストシスターに英語で解説してもらいながら見ていたのだが、
映像や音楽がすばらしく、ストーリーもとても面白いらしいのにその背景も言語も全く分からなかったのが悔しくて、「もっとこの国のことを知らなければこの映画はわからない」と思ったのだ。

ほかにもホストファミリーのおばあちゃんが言葉が通じないのに本当の孫のように扱ってくれて、きちんと話すこともできないまま私の帰国後亡くなってしまったことや、敬虔なヒンドゥーであるホストマザーにいろんな寺院へ連れて行ってもらい宗教実践を見ていたこと、そうしたことが重なって私はインドの面白さにのめりこんでしまった。

結論から言えば、現在私は大学院でインド地域研究の修士論文を準備している。
17歳の3月のインドで過ごした1週間は、私のインドとの出会いになったばかりか、以後の人生そのものとの出会いであったに違いない。


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