2012年6月16日土曜日

005 - モンスーンのはじまり 20120616

さっそく日があいてしまった。あーあ、なんてこった。
ここからまた3ヶ月連続投稿をリセットするかな。

さて、現在インドは南西モンスーンの時期に入っている。
私のいたプネーでは、毎日ざあざあ振り・・というわけでもなかったけれど、
それこそバケツをひっくり返したような雨が頻繁に降り、傘が手放せない状態だった。

今年のモンスーンは例年に比べて現時点での降雨が少なく、
ケーララからカルナータカ、マハーラーシュトラ州の沿岸地域・南部内陸部における作物の種まきの時期に影響を与えていたようだ。
Southwest monsoon to enter interiors in 3-4 days - the Times of India  http://timesofindia.indiatimes.com/india/Southwest-monsoon-to-enter-interiors-in-3-4-days/articleshow/14138274.cms )

記事によれば数日のうちに本格的なモンスーンに入るようなので農家たちは一安心できそうである。

モンスーンが明けるのは大体9月ごろで、それまではインドとしては「湿気が多くて肌寒くて、雑菌が繁殖し、ものが傷みやすく、体調を崩す時期」かつ「恵みの雨が降る憩いの時期」でもある。
一見複雑な心境じゃないかと思うのだが、テレビを見ると、雨の中で思い切り遊んだ子供たちも家に帰って石鹸で体を洗えば清潔に! というような石鹸のCMがよく流れている。そして街の様子はというと、この時期は「ハッピーモンスーン!」と言って「品物が悪くなるから(ホストマザー談)」店という店がセールに走るので、雨だろうと街はSALEの文字が躍る看板で埋め尽くされている。
(そのせいで、雨のなかごった返す市街地で買い物をしてずぶ濡れになりながら帰りのリキシャーを探すのに奔走する羽目になったりするのだが)

マハーラーシュトラ、特にプネーやムンバイの場合、9月ごろに行われるガネーシャ祭りがモンスーンの終わりを告げる。
雨のなか路上にステージを組んで準備されてきたガネーシャのモニュメントの電飾がきらびやかに浮き上がると、モンスーンは終わりをつげ、October heatと呼ばれる冬前のからりとした暑さがやってきて、街は一年で一番美しいディワリ祭りへの準備を始める。


2012年6月12日火曜日

004 - 「インドとわたし 出会い編」本編2 20120612

2006年3月、私は初めてインド・ムンバイのチャトラパティー・シヴァージー空港に降り立った。
ぼけっとしていたら飛行機の座席にパスポートと帰国便チケットを置き忘れてインドに来て早々CAさんに迷惑をかける騒動を引き起こしたのも今となっては思い出である。

夜ホテルからの送迎待ちのために空港の外に出ると、熱と湿気がつまった空気とやたらクラシックなインド国産車アンバサダーの黒とマンゴー色の車体、道端に植えられたココヤシ、そして客の名前が印字されたコピー紙を持って待ち受けるインド人タクシードライバーのささやかな一群が目に飛び込んできた。
「おおおおお、ここがインドだー!来ちゃったインド!」
目の前のこの光景とまとわりつく空気、クラクションの音、そして空港にたちこめた香のにおいが感覚のすべてを奪っていった。

その翌日、昨日書いたKさん家族に出会い、そこからの一週間家族の一員として受け入れていただき、当初決めていた通りに彼らのやることなすことをことごとく真似、とにかく笑顔でなんでもやった。

印象や思い出を全部書き連ねることはしないが、ここでは私がインドをもっともっと知ろうと思ったきっかけになった出来事を書くことにする。

鮮やかな色彩にあふれ、かつどこか砂埃にくすんだ街の色彩、日本のインド料理屋では食べられない台所でうまれる現地メニューの数々、高原気候であるプネーを彩る白い日光、街にあふれるガネーシャ像(ヒンドゥー教の神のひとりであり創造・破壊神シヴァの息子。ゾウの頭の神といえばわかる人も多いだろう)と、花とサフラン色と神像にあふれた石造りの寺院。インドを思い出すときまずはこうしたものが浮かんでくるのだが、忘れられない感触が一つある。

ホームステイの何日目かにKさん一家の自家用車で街中を走っていたとき、ふと停車して窓を開けていると幼い子供が何か品物を持ってやってきて、買ってくれるようせがみ手を伸ばしてきた。
「これが噂にきくバクシーシかあ」と思い見ていると、
ふと隣にいたホストシスターが車の窓を閉めた。
そのとき窓ガラスに、コツン、と差し出された子供の手が当たった。
まったく誰の悪気もない出来事だが、何もインド社会のことなど知らなかった私に疑問がわいた。

「Kさんたちと子供の間のこの窓ガラスは、本当はいったいなんなのだろう?」

あの音と感触は今もふと頭をよぎる。

もう一つのきっかけは、当時公開されていたRang De Basantiという映画だった。
この映画は有名俳優のアミール・カーンが主演した大学生を主人公にした社会派映画だ。
内容については、アルカカットさんの書かれたこちらの記事http://www.koredeindia.com/006-01.htm#0127をご覧いただきたい。
私は当時まったくヒンディー語がわからない状態で映画館に連れて行ってもらい、たまにホストシスターに英語で解説してもらいながら見ていたのだが、
映像や音楽がすばらしく、ストーリーもとても面白いらしいのにその背景も言語も全く分からなかったのが悔しくて、「もっとこの国のことを知らなければこの映画はわからない」と思ったのだ。

ほかにもホストファミリーのおばあちゃんが言葉が通じないのに本当の孫のように扱ってくれて、きちんと話すこともできないまま私の帰国後亡くなってしまったことや、敬虔なヒンドゥーであるホストマザーにいろんな寺院へ連れて行ってもらい宗教実践を見ていたこと、そうしたことが重なって私はインドの面白さにのめりこんでしまった。

結論から言えば、現在私は大学院でインド地域研究の修士論文を準備している。
17歳の3月のインドで過ごした1週間は、私のインドとの出会いになったばかりか、以後の人生そのものとの出会いであったに違いない。


003 - 「インドとわたし出会い編」本編 20120611

もうすでに6月12日の朝だというツッコミは受け付けない。
3ヶ月毎日更新の基準は私が一回起きて寝る間に1投稿だ。

さて、私は当時17歳で2006年の春に一週間インドに行くことになった。
それまでにも1・2週間の海外ホームステイは経験していたので海外に行くことに抵抗はなかったが、
生来内向的かつ妙に頑固な性格が災いしたのかホームステイ先の家族とあまり良い関係は築けておらず、またうまくいかなかったら、という不安はついてまわった。
そこで、とにかく「郷に入りては郷に従う」と「笑顔で人の中に飛び込んでいく」ことだけ心に決めて、
ムンバイ行きの飛行機に乗り込んだ。
夜着の便だったので、着陸寸前に初めてインドの地表の橙色の明かりが点々とした光景が見えたときのことは忘れられない。

ホームステイしたのは、マハーラーシュトラ州・プネーでエクステリア販売や配線工事を手掛けるエンジニアKさんのお宅。3階建てのバンガローの各階で兄弟3人がそれぞれ家族と住んでいる、いわゆる「インドで今もっとも注目されている、台頭してきた中流階級の中のけっこうハイクラスな人たち」である。Kさん夫妻には娘が2人おり、私は3人目の娘として暖かく迎えていただいた。

短めだが、明日へつづく。


2012年6月11日月曜日

002 - 「インドとわたし出会い編」序章 20120610


 ブログ二日目にして書くことに迷う、この有様である。
まずは、私自身のインド渡航経験を書いておこう。
私は今までインドに2回渡航している。2006年の3月と、2011年の7月から11月までだ。

 ネタの存続のためにも、少しずーーーつ、小出しに書こう。今日は「出会い編」の序章ということにしておく。
  
 初めてインドに赴いた2006年の3月、私は高校3年生になる春休みを迎えていた。
そのきっかけは、前年の冬(確か12月ごろ)に見た、以前から参加していた言語交流団体の青少年交流ホームステイプログラムのチラシだった。
母と一緒に「どこか面白そうなところないかなー」とみていたとき、
フランス、ドイツ、マレーシア・・その次あたりに出ていたのがインドだった。
「この中の国で、インドが一番日本から『遠い』感じがするし面白そう。冒険っぽい!」というと、
母は「そうかインドかあ。フランスとかは一人旅でも行かせられるけど、インドはホームステイじゃないとちょっと大変そうねえ。せっかくだからインドでいいんじゃない」。

「おもしろそうなところをちょっと冒険したい」

人生面白いネタになればいいじゃない、とどこかでいつも思っているお気楽な性格が産んだこのかるーい気持ちで、17歳の私はインドの一般家庭に一週間入らせてもらうことになったのである。

2012年6月9日土曜日

001 - begin 20120609


 もう何度目になるかわからないが、文章を書くための練習として日記兼ブログを書き始めることにした。
これから修士論文を書かなければいけない上、「文才があると思うから磨いてほしい」などと人に言われてしまったら、もう物書きの練習をしない理由はないだろう。今まで3年間頑張ってくれたwebノート(ASUS 1000H、キャンペーンで15000円でやってきた子で、MS Officeも入れなかったにもかかわらず卒業論文を共に頑張ってくれた相方)に暇をやって、新しいノート(Toshiba Dynabook E631)に来てもらったのだからなおさらだ。
 話題は私の地域研究の対象地であるインドのあれこれ、とりわけ時事・日常生活・芸能が主になるだろう。現在のろのろと学習中のヒンディー語と、西インド・マハーラーシュトラ州の現地語であるマラーティー語のこともたまに書いていくつもりだ。
 更新頻度は未定だが、@3_wa氏のブログポスト(「拝啓:これからブログを頑張ろうと思う人へ。まずは三ヶ月毎日書く。話はそれからだ。」on Edu Dev.net http://edu-dev.net/2012/06/07/3month_blog/ )を参考に(というか、教訓に)まずは三ヶ月の毎日更新を目指したい。
 話題と更新頻度に加えてもう一つ自分のルールとしたいのが、出典や参考文献をかならず明記する、わからない場合は不明であると明記することだ。堅苦しく思われるかもしれないが、論文をはじめとしたきちんとした文章を書くためのクセ付けは怠らないほうが今後の身のためだろう。
 
 もし仮に自分に少しまともに文章を書く力があるとしても、文章を書き続けられるかどうかも文才のうちだと私は思う。いっぱしの物書きになれるかどうかの挑戦はここからだ。